毎年12月に、その年を象徴する漢字が京都清水寺で発表されます。
リーマンショック前年の2007年は、「偽」という漢字が選ばれました。
これは、母子の記者会見が話題になった老舗料亭の船場吉兆、伊勢名物の赤福餅、牛肉ミンチのミートホープなど、食品偽装問題が多く露わになった年だったことからです。
北海道の代表的名菓「白い恋人」を製造・販売している石屋製菓株式会社もその一社でした。
始まりは、「石屋製菓が製造しているアイスクリームから大腸菌が検出されたものの、製品を廃棄して、上層部がもみ消そうとしている」という匿名の告発からでした。
即刻、保健所の立ち入り検査が行われました。
さらに、次々と問題が出てきました。バウムクーヘンからは黄色ブドウ球菌が検出され、しかも商品が出荷されていました。
メイン商品の「白い恋人」には賞味期限の改ざんが発覚しました。
なぜ、このようなことが起きたのか?
バウムクーヘンについては、加熱殺菌機はあったものの、現場の社員が正しい殺菌の仕方を理解していませんでした。
殺菌に使用する薬品を目分量で入れ、殺菌水に浸すのも数秒のみと、適正な方法がとられていませんでした。
また、当時は外部機関に微生物検査を依頼していたため、検査から回答まで2日間かかっていたそうです。その検査を待たずに「どうせ何もないだろう」と過去の経験則で出荷してしまっていました。
賞味期限の改ざんについては、30周年の記念商品として、30周年ロゴ入り包装紙で包んだ商品を販売していたことに端を発しています。
その記念商品は読み違えがあり、30周年の日を超えて大量の在庫が残りました。そして、社内では賞味期限は4カ月にしているものの、6カ月は大丈夫だという認識から問題の行動が起きます。
30周年記念商品の包装紙を外し、再包装をして賞味期限を4カ月から5カ月に延ばして販売しました。
こうしたことを、現社長の石水社長は著書『白い恋人 奇跡の復活物語』で赤裸々に語っています。
これらの事実が次々と発覚して、石屋製菓は無期限の休業に入ります。
製品の自主回収の社告を出した翌日には膨大な電話問い合わせがあり、その対応に追われて社員は心身ともに疲弊していきます。
そして、ついに先代社長の辞任という事態に至ります。
当時、まだ若かった石水社長が「街の小さなお菓子屋さんの意識のままであった」と述懐しているとおり、石屋製菓は事業規模に応じた管理体制・意識水準に至っていなかったのです。
問題発覚後に設置された、外部有識者による外部委員会の報告でも、「ファミリービジネスの域を超えないまま大型化したと言わざるを得ない。そのため、株式会社が備えるべき体制・組織になっておらず、社員の意識レベルの低さを招いた」という主旨が述べられています。
これは、どの中小企業においても起きる可能性があります。
とくに、ある一定期間に急成長を果たした企業が陥りやすい現象です。
需要に対応するための供給体制整備に追われ、“とりあえず”“継ぎ足し”の施策が展開されます。
業績が堅調に推移していくことで、社員たちにも無意識の驕りが生じてきます。
“昨日したことを今日も行う。今日行ったことを明日も行う”ことに疑問を感じず、変わらぬ方法・発想で仕事をこなしていきます。
そして、成功のダークサイドが突然、トラブルや歯止めが効かない業績低下という事態で表面化します。
石屋製菓は現在、偽装問題が発生した前年の売上92億円をはるかに凌ぐ、142億円強の売上規模にまで成長しています(2020年4月期)。
これは、空港免税店などに展開するなどのインバウンド対応が功を奏したことも大きいようですが、根本的には、偽装問題を受けて、徹底的な改革を行って企業体質を変えたことによるものと思います。
その際のキーワードが「外の世界」です。
支援を申し出てくれた企業から、品質保証・製造設備などのプロ人材を迎え入れます。
経営陣も社員も、さまざまな優秀な工場に出向いて、本物の生産・管理体制のあり方を学びます。
展示会などにも多くの社員を派遣して最先端設備やノウハウに触れさせます。
「もっと前から、このような外の世界を見て、体感する機会をつくっていれば、不祥事は起こらなかったのではないかと悔やまれてならない」と石水社長は述懐しています。
個人も組織も、健全な問題意識・危機感を持つことが成長のエンジンになります。
問題は目標(あるべき姿)と現状のギャップです。
われわれも良いときほど、社員を計画的に外の世界に触れさせて、目標レベルを引き上げ、現状に満足しない状態をつくり続けていくことが求められます。